2006年08月13日

プラハ。

プラハに降り立つのは何度目になるだろう。

以前のプロジェクトに関連する工場がイラバ(Jihlava)というプラハから高速で1時間ほどのところにあったため、既に6,7回は来ているはずだ。

入国・出国のスタンプは、一番最後のページからキレイに並べるように指導されているのか、結婚前のパスポートにはEUになる前の青緑の長方形が8つ、几帳面に並んでいる。
その次のページにもこれから続けて行くようになるのを食い止めるかの様にEU共通のスタンプが大きな顔で居座っている。

初めてプラハへ来たときは6,7年前。

イギリスに6ヶ月滞在した後に、日本へ帰って就職したら長旅も出来まいと、2ヶ月間の放浪のヨーロッパの締めくくりに訪ねたのがチェコ共和国。

アルフォンス・ミュシャが日本でも紹介され始めた頃で、6×8mにも及ぶ晩年の大作「スラブ叙事詩」が展示されているモラフスキー・クルムロフ(Moravsky Krumlov)を始め、建築装飾など、日本に居ては見られない彼の作品を見ることを主に訪れることを計画した。

そのときは、チェコで2番目に大きい都市、ブルーノ(Brno)から、これで2時間も走れるのか?というボロボロのバスでプラハへ。

プラハに初めて足を踏みだしたのはどこだったのかも忘れてしまったけれど、ともかくは重荷を置きにホステルへ向かって、息もつかせず直ぐに街へ出る。闇雲に歩き始めて直ぐに、建築装飾として彼が腕を振るったObecni Dum(国民劇場)に行き当たり、美しさにため息しかでなかったのを思い出す。

アメリカへ向かう離陸直後の飛行機の窓から、もう二度と来れないだろうと寂しく思いながらプラハの街を眺めたりもした。


それが、一番多く訪れる外国になろうとは。

うちの父に言わせれば「縁がある」のだろう。


今回は家族と一緒だ。
始めに来たなら、プラハ城、カレル橋、旧市庁舎の仕掛け時計は押さえて置かなければ。

Germanwingsの昼過ぎの便でシュトゥットガルトを出発して1時間もすればプラハ。

快晴とはいかないまでも、観光には丁度良い気温。

空港から市内へバスで移動して、ホテルにチェックイン。
ホテルは城側の川沿い。ダブルを二部屋。同じ値段なのに、広さも調度品も大きな差がある。一つは天井が屋根裏。もう一つは天井も高いし家具も立派。フロントに聞いてみるが、これが普通なのだそう。良い方のお部屋。↓
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まずは腹ごしらえの昼食。
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鳥の丸焼きをメインにしているレストラン。私のお皿は久しぶりのKnedliky(クネドリキー)付きの牛肉。
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レストランを出て直ぐに、カレル橋全様観察。
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橋を渡る手前に最近出来たというカフカ博物館の前を通ると、オカシな噴水が!
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腰が回転して、モノが上下に動いてます!(笑)


入り組んだ路地を抜けて、多くの観光客で賑わう橋へ。
橋のモニュメントには、誰かのいたずらで、くわえタバコの獅子。
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何番目かのネポムツキー像のレリーフに触れると幸運が訪れる、と言われていて、順番を待つ人達の行列。たくさんの人が触れられてピカピカ。
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旧市街地のお土産やさんの並ぶ路地をクネクネと歩いて、旧市庁舎のからくり時計に到着。20分ほど待って1分程のからくり。骸骨が「キーッ」と鳴いて締めくくり。
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カフカの少年時代の住まい、Cletna2、3の前を通って国民劇場まで出たら、本日のガイド業務終了。

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posted by のだめ。 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(1) |   プラハ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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